「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

ビルの屋上から先祖の霊送る 京都五山で送り火

ビルの屋上から先祖の霊送る 京都五山で送り火

300年以上の歴史があるとされる京都のお盆の伝統行事「京都五山送り火」が8月16日夜行われ、京都市を囲む五つの山が炎で描かれた文字と形に彩られた。
予定通り午後8時に、京都市左京区の大文字山で護摩木を組んだ火床に一斉に火が灯されると、瞬く間に「火」の文字が浮かび上がった。そして、その後は5分間隔で「妙法」、「船形」、「左大文字」、「鳥居形」の順に火が灯された。
この時間帯、京都市内ではあちこちで送り火を眺める人たちがみられた。とりわけ、五山を見渡せる、眺望に恵まれたビルの屋上から数多くの人たちが、山々に浮かび上がる、先祖の霊を送る幻想的な風景に見入っていた。

頭にとさか、飛べない鳥に似た恐竜化石 中国で出土

頭にとさか、飛べない鳥に似た恐竜化石 中国で出土

中国江西省の白亜紀(8360万~6600万年前)の地層から、現代の飛べない鳥「ヒクイドリ」に似た、頭にとさかがある恐竜の化石が見つかった。中国地質科学院や日本の北海道大などの研究チームが恐竜の新属新種に分類し、英科学誌サイエンティフィック・リポーツに発表した。
この化石はオビラプトロサウルス類で、学名はヒクイドリに似ていることなどから「コリトラプトル・ジェイコブシ」と名付けられた。全身骨格がほぼ揃い、8歳でまだ成長しきっていなかった。
ヒクイドリはダチョウやエミューのような飛べない鳥の仲間で、ニューギニアやオーストラリア北東部などの熱帯雨林に生息し、主に果実を食べていた。

五稜郭跡 戊辰戦争時の米蔵「兵糧庫」特別公開

五稜郭跡 戊辰戦争時の米蔵「兵糧庫」特別公開

北海道函館市の国指定特別史跡・五稜郭跡で、1864(元治元)年に函館奉行所の米蔵として建設された「兵糧庫」が8月31日まで特別公開されている。
この兵糧庫は1868年1月、「鳥羽・伏見の戦い」を皮切りに始まった、明治新政府と旧幕府軍との間で繰り広げられ1年半に及んだ「戊辰戦争」の最後の戦い(1869年5月)の場となった箱館で、戦後唯一解体を免れた建物だ。
明治新政府に対し徹底抗戦を叫び、箱館・五稜郭で新政権樹立を宣言した榎本武揚や土方歳三らが日常的にみていた、あるいは出入りしたかも知れない風景の一部といってもいい。
創建時の柱や梁(はり)が残り、実際に敷かれた木製水道管や沈没した新政府軍の軍艦の一部が展示されている。

特別展「戦国!井伊直虎から直政へ」静岡で8/14から

特別展「戦国!井伊直虎から直政へ」静岡で8/14から

大河ドラマ「おんな城主 直虎」にちなんだ特別展「戦国!井伊直虎から直政へ」が8月14日から静岡市駿河区の県立美術館で開かれる。10月12日まで。前売り券は一般1,000円、高校・大学生と70歳以上は500円。中学生以下は無料。開幕日除き月曜日休館。
特別展では、直虎ゆかりの品々をはじめ当時の井伊谷(いいのや)(現在の浜松市北区引佐町)周辺を取り巻く今川家、織田家、徳川家、武田家など戦国大名の関連資料も展示。古文書や刀剣、絵画など160点が並び、「井伊の赤備え」として知られる赤色の甲冑(かっちゅう)も間近に見ることができる。
会場は4つの章で構成される。井伊家が現在、大河ドラマで放送中の直虎の時代、今川家の配下で様々な雌伏の時代を経て、一気に戦国大名の勢力図が塗り替わり、徳川家に臣従、家康の配下として大きく飛躍し、譜代大名として彦根藩を創設するまでの過程を多くの資料で解説している。

纏向遺跡 史跡公園へ 見学者施設整備始動

纒向遺跡 史跡公園へ 見学者施設整備始動

奈良県桜井市などによると、同市の纒向(まきむく)遺跡で整備計画が本格的に動き出した。4年後には発掘調査の成果や同遺跡に関わる歴史を学べる場所を備えた史跡公園が完成する予定だ。同遺跡は、邪馬台国の最有力候補地として全国的に知られながら、これまで見学者のための施設などがなかった。
同市教育委員会は2016年3月、同遺跡と、一帯の古墳群の保存や活用を進める計画書をまとめた。遺跡中心部の旧纒向小学校跡地(約1万平方㍍)を「センターエリア」と位置付け、史跡公園を整備する構想だ。そして今年3月末にはセンターエリア整備の第1弾として、見学者用トイレが完成。今後、写真パネルや模型などの展示室やボランティアの活動拠点を備えた「ガイダンス施設」と広場を2021年度末までに完成させる計画だ。
同遺跡は3~4世紀の集落遺跡としては国内最大で、中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼(247年ごろ死去)の時代と重なる。また、関東から九州まで各地の土器が出土し、箸墓(はしはか)古墳などの前方後円墳が最初に築造された場所でもあることから、ヤマト王権の誕生の地と考えられている。
2009年には同市教委の調査で、大型建物跡が出土。「卑弥呼の宮殿」とする説が紹介され、現地説明会では2日間で1万人以上が集まった。しかし遺構は調査後、埋め戻され、現地を訪れてもこれらの成果を実感できる場所や休憩所はない。

奈良・東大寺でお盆前に恒例の「お身拭い」

奈良・東大寺でお盆前に恒例の「お身拭い」

奈良の東大寺で8月7日、恒例の「お身拭い」が行われた。お身拭いは、東大寺の大仏にきれいな姿でお盆を迎えてもらおうと、毎年8月7日に行われている。
7日は午前7時すぎから、白装束の僧侶や寺の関係者などおよそ180人が大仏殿に集まり、初めに大仏の魂を抜くための法要が行われた。この後、大仏の手のひらや膝の上などに登り、はたきやほうきでたまったほこりを払い落した後、布で全体を隅々まで磨き上げた。
高さがおよそ15㍍ある大仏の頭や肩の部分は、天井からロープでつるしたかごに乗り込んだ人たちが慎重に作業していた。

古代山陽道の遺構を確認 広島県府中市で2例目

古代山陽道の遺構を確認 広島県府中市で2例目

広島県府中市教育委員会は8月5日、同市府川町で7世紀半ば~10世紀に都と大宰府(福岡県)を結んだ古代山陽道の遺構を確認したと発表した。同市内での遺構確認は2例目。
古代山陽道は天武・持統朝以降、整備が進められ、平城京、平安京などと大宰府を結んだ古代日本の幹線道路で、各地の国府を結び、一定区間ごとに駅家(うまや)が設けられていたといわれる。

平安時代の最大級の有力貴族の邸宅跡発見 京都市

平安時代の最大級の有力貴族の邸宅跡発見 京都市

京都市埋蔵文化研究所は8月3日、同市中京区で平安京の遺構としては最大級の邸宅跡が見つかったと発表した。同研究所では当時の有力貴族の邸宅で、平安時代前期の840年ごろまでに建てられたとみている。
今回発掘されたのは柱を直接地面に埋め込む「掘立(ほったて)柱建物」など4棟の遺構。最大のものは東西約21㍍、南北約9㍍。使用人が寝泊まりや食事の準備をした「御厨(みくりや)」とみられる跡も見つかった。また、周囲からは当時の高級品だった緑釉(りょくゆう)陶器や灰釉(かいゆう)陶器が出土している。
建物の所有者は不明だが、天皇の平安宮(大内裏)から南西約800㍍と近く、敷地が1町(約120㍍)四方に及ぶことから、都に数人程度しかいなかった大納言など大臣級の三位以上の官位を持つ貴族に絞られるという。

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に推薦へ 文化審議会

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に推薦へ 文化審議会

文化庁の文化審議会は7月31日、2019年の世界文化遺産への登録を目指して、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を日本から推薦することを決めた。ただ、世界遺産登録に向けては、改善すべき課題も多く指摘された。
百舌鳥・古市古墳群は大阪・堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる古墳群で、4世紀後半から5世紀にかけて築造され49基に上る。中でも仁徳天皇陵とされる陵墓は、全長486㍍に及ぶ前方後円墳で、世界最大級の大きさを誇る。様々な規模の古墳群があることで、日本列島における古代王権の成り立ちを表す遺跡とされている。
ただ、大阪府内でも2つの地域にまたがる古墳群を一体として見ることの説明が不十分なことや、ほかの地域の古墳群との差別化をどう図るかという点など、改善すべき課題が指摘された。

弥生中期の木製品削る「やりがんな」出土 石川県小松市

弥生中期の木製品削る「やりがんな」出土 石川県小松市

石川県埋蔵文化財センターは7月27日、同県小松市の八日市地方(ようかいちじがた)遺跡で、弥生時代中期前半(約2300年前)とみられる柄付き鉄製「やりがんな」が出土したと発表した。
やりがんなは、木製品を作る際に木の表面などを削る工具。木製の柄もある完全な形の品としては国内最古といい、センターは「鉄器が日本列島へ普及する過程を考えるうえで貴重な資料」としている。
今回出土したやりがんなの全長16.3㌢。鉄の部分(長さ5.1㌢)を柄の中に一部はさみ込んだ後、糸とテープ状にした桜の樹皮を巻いて固定。柄には斜めの格子文様が彫られ、一端はバットのグリップのような形に削り出されている。
これまでやりがんなの刃だけの出土例は北部九州などであった。やりがんなは法隆寺など飛鳥時代の寺社建築などでも使われ、室町時代に現在の台がんなが伝わるまで、宮大工の主要な大工道具だったとされる。