「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

富山城下町遺跡・町人居住地域で江戸後期のトイレ発見

富山城下町遺跡・町人居住地域で江戸後期のトイレ発見

富山市埋蔵文化財センターによると、富山市西町の富山城下町遺跡から、便所とみられる江戸時代後期(18世紀後半~19世紀半ば)の遺構が見つかった。同県内の遺跡でトイレ跡が見つかったのは初めて。土壌から野菜や魚を食べたときに感染する寄生虫の卵が検出された。
遺構は直径80~100㌢、深さ40㌢の穴。中からトイレットペーパーの代わりに使った「籌木(ちゅうぎ)」とみられる細長い木片が出土した。また、土壌分析の結果、回虫や鞭虫(べんちゅう)、肝吸虫(かんきゅうちゅう)といった寄生虫の卵が多数見つかった。このほか、全国の便所遺構で出てくることが多いイネやソバなどの花粉、ウリの種もあった。
現場は江戸時代、富山城下町の町人が住んだエリアで、北陸街道や飛騨街道から近い一等地。これまで荷札にあたる「木札(きふだ)」などが発掘され、有力な商人の屋敷があったと考えられている。

明治~昭和初期の「里程標」が南砺市福光地域で復活

明治~昭和初期の「里程標」が南砺市福光地域で復活

富山県の「歴史と文化が薫るまちづくり事業」を推進する南砺市福光地域の実行委員会が、同市福光の東町交差点付近に、明治から昭和初期にかけて立っていた「里程標(りていひょう)」を復元し、3月14日に現地でお披露目した。
同実行委は歴史的な意義があると判断、事業の一環として復元した。小矢部川産の真石(まいし)を基礎に、高さ3.6㍍の標柱を立てた。富山第一銀行の協力で、説明看板も近くに設置した。
里程標は、全国の陸地の道程調査を進めていた明治政府の方針で、市町村の中心地に建てられた。福光地域に中心部の東町では1870年代に登場し、1902(明治35)年の建て替えなどを経て、1965年ごろに撤去された。

福岡で「400年有田の魅力展」代表窯の器2000点を展示

福岡で「400年有田の魅力展」代表窯の器2000点を展示

今年、創業400年を迎えた有田焼の現在と歴史を紹介する「400年有田の魅力展」が、福岡市・天神の福岡三越で3月9~14日の6日間にわたって開かれた。白磁の人間国宝・井上萬二さんの作品や、柿右衛門窯など有田を代表する窯の器約2000点が展示、販売された。有田町の実行委員会による記念事業の一環。
名窯の置物や日用食器が並んだほか、伝統工芸士らによるろくろや絵付けの実演で、工房の様子を再現。また、江戸時代の有田焼「古伊万里」など、各時代のヒット商品100点で歴史をたどる展示もあり、有田焼400年の歴史の重みと、時代を超えた魅力を感じさせた。

和歌山・九度山町に「真田ミュージアム」オープン

和歌山・九度山町に「真田ミュージアム」オープン

戦国武将、真田昌幸・幸村(信繁)親子らの生涯を紹介する「九度山・真田ミュージアム」が3月13日、ゆかりの地、和歌山県・九度山町にオープンした。
「真田」を題材に街づくりを進める町が、町の中心部に敷地面積1048平方㍍、延べ床面積592平方㍍の施設を建設した。総事業費は約3億8000万円。真田昌幸・幸村、そして幸村の子、大助を含め三代の生涯の常設展示など6つのエリアが設けられている。「上田時代」のコーナーでは、上田城(長野県上田市)を拠点とした昌幸・幸村親子の活躍を年表やパネル、関連する書状の複製などで紹介している。
竣工式では紀州九度山真田太鼓保存会の太鼓演奏が行われ、九度山町の岡本章町長が「真田の魅力を全国に発信し、九度山町の教育や文化、観光などの魅力をさらにアピールしたい」とあいさつした。
大河ドラマ「真田丸」で大谷吉継を演じる片岡愛之助さんが登場し、関係者とともにテープカットしてミュージアムのオープンを祝った。

出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社「庁舎」建て替え 平成の大遷宮 30年完成

出雲大社(島根県出雲市)は、境内で異彩を放っているモダンなスタイルの「庁舎(ちょうのや)」を、和風建築の施設に建て替える方針を固めた。
新しい庁舎には伝統の神事で使う「榊の間(さかきのま)」を復活させる考えで、国宝・本殿などを改修した「平成の大遷宮」が一段落する3月以降、2期工事として着手、平成30年ごろの完成を見込んでいる。
庁舎は、社務所や迎賓館としての役割を果たしてきた施設。

門外不出の『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

門外不出の書『葉隠』が佐賀尊皇派から久留米藩に伝播か

佐賀藩の門外不出の秘本と思われていた『葉隠』が幕末、久留米藩に伝わっていたことが分かった。葉隠研究会理事の大園隆二郎さん(63)の研究で明らかになったもの。
大園さんは久留米藩士、真木和泉守(いずみのかみ)の読んだ本を記録した目録に『葉隠』の記載があったことから関連文献を調査。その結果、正確な伝播ルートは不明だが、佐賀藩の枝吉神陽ら尊皇派を通じた伝播の可能性が浮かび上がった。
『葉隠』は武士の生き方を説いた佐賀藩士、山本常朝の口述を同藩士・田代陣基(つらもと)がまとめた書。本来の武士道とかけ離れていたことから藩内では当初、禁書扱いになった。ただ、藩士の読書会でテキストとして用いられるなど徐々に重要視される書になっていた。

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井で発見の恐竜化石は新種 現代の鳥類並みの聴力

福井県立恐竜博物館は2月26日、同県勝山市で2007年に見つかった小型獣脚類の恐竜が新種と判明し、「フクイベナートル・パラドクサス(逆説の福井の狩人)」と学名を付けたと発表した。国内で見つかって学名がついた恐竜は7種目、福井県では5種目。獣脚類では2種目。
化石は2007年8月、勝山市の白亜紀前期(約1億2000万年前)の地層から約160点見つかった。同一個体の全身骨格の7割がそろい、全長2.45㍍、体重25㌔と推定される。
内耳の器官の発達具合や骨の形状などの特徴から新種と判断された。内耳の聴力をつかさどる器官が発達し、現代の鳥類に匹敵する聴力があったとみられる。

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

濃姫御殿か 岐阜城の織田信長居館跡で金箔瓦の破片発見

岐阜市教育委員会は2月19日、織田信長が一時拠点とした岐阜城(岐阜市)の居館跡で、多数の金箔瓦の破片が見つかったと発表した。今回見つかったのは庭園遺構や金箔瓦片約30点。
1567年に美濃(岐阜)を攻略した信長が入場直後に工事を始め、途中で設計を変更し、庭園に隣接するよう御殿の敷地を拡張したとみられる。
文献などを参考に調べた結果、屋根を金箔瓦でふいた信長の正室・濃姫の御殿の可能性があるという。

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

シーボルトのオランダ語直筆書簡見つかる 植物研究で

博物学者で江戸時代日本に西洋医学を伝えたドイツ人医師シーボルトが、医療の傍ら、日本の植物研究にも取り組んでいた。その研究のさなかに交わされた直筆のオランダ語の書簡が見つかり、研究者らは日本の植物学の原点を記した貴重な資料だとしている。
今回見つかった書簡は、シーボルトが1828年11月に遭遇した「シーボルト事件」で国外追放になる直前、当時50人以上いた弟子の一人、賀来佐一郎(かく・さいちろう)、佐之(すけゆき)宛てに「日本植物目録」の推敲を依頼する旨、したためられたもの。神田外国語大学の「洋学文庫」の中から見つかった。
長崎・鳴滝塾の門下生だった賀来に関しては歴史上謎が多く、今回の発見で植物学におけるシーボルトの一番弟子とされている伊藤圭介(いとう・けいすけ)と並ぶ重要人物であることが判明した。シーボルトは約1600種の植物標本に学名と和名を付けて分類し、目録を作成する作業を、既述の2人の協力を得て、1827年10月末から長崎県の出島で精力的に行い、半年後「日本植物目録」の草稿を完成させている。
シーボルトの書簡は日本に6本現存しているが、国外追放前に日本植物研究について書かれたものとしては、日本で初めて発見されたものとなる。なお、今年はシーボルト没後150年の節目の年で、2016年2月17日は生誕220年。

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

飛鳥寺西方遺跡で遷都後の平安時代の皿出土

奈良県明日香村教育委員会は2月9日、中大兄皇子、中臣鎌足らによる大化改新をはじめ飛鳥時代の需要なできごとに関する舞台となった「槻(つき)の木の広場」とされる飛鳥寺西方遺跡で、10世紀の土器の皿が数枚重ねられた状態で、複数箇所で見つかったと発表した。平安時代の祭祀(さいし)跡とみられ、平安京への遷都後も広場が特別な空間だったとみられるという。
飛鳥寺西門跡の南西約60㍍で土師器(はじき)の皿(直径10㌢)を5~8枚重ねたものが、110㌢間隔で計3カ所から出土。2㍍北側で皿(直径14㌢)が重なっていた。近くでは炭や焼けた土が交じった長方形の穴も確認された。