大船鉾 勇姿150年ぶり 祇園祭で曳き初め
京都の祇園祭で、7月24日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行でトリを務める大船鉾の曳き初めが7月20日行われた。大船鉾は幕末に焼失。今年150年ぶりに復活する。そのお披露目会と試し引きが行われたもので、江戸時代の装飾品を付けた勇姿を一目見ようと、多くの見物客が進路を埋めたため、曳き初めのコースを短縮するほどだった。鉾は全長約7.5㍍、幅約3.25㍍、高さ6㍍を超える。
奈良飛鳥京・福岡粕屋町で飛鳥時代の新たな発見
奈良県立橿原考古学研究所は7月14日、国内最古の本格的庭園・飛鳥京跡苑池(えんち、奈良県明日香村、7世紀後半)で、敷地を囲った塀跡が見つかったと発表した。塀跡は南池を見下ろす高台にあり、7つの柱穴が南北約15㍍にわたり並んでいた。過去の調査で発券された北池付近の塀の柱穴と一直線につながった。苑池は斉明天皇や天武天皇の宮殿に附属した施設と考えられている。
福岡県粕屋町教育委員会は7月14日、町内の粕屋官ガ遺跡群阿恵(あえ)遺跡で、7世紀後半の飛鳥時代の役所、粕屋評(かすやのこおり)とみられる建物跡が見つかったと発表した。税として集めた穀物を保存する倉庫群の遺構とセットで出土し、全国でも珍しい発見という。
町教委によると、建物跡は縦42.0㍍、横4.2㍍の掘っ立て柱建物など5棟で、中庭をかこむようなコの字形の配置から地方行政単位の評の役所とみられる。大宝律令(701年)で施行された郡に相当する。穀物を保存する倉庫跡は6棟が出土。最大で縦7.0㍍、横8.5㍍で、役所跡の東130㍍から発見。穀物の重みを考慮し、床を多数の柱で支える構造となっている。
川端康成が学生時代、婚約者に宛てた恋文見つかる
ノーベル文学賞授賞作家、川端康成(1899~1972年)が学生時代、婚約者の伊藤初代に宛てた未公開の手紙が7月8日までに、神奈川県鎌倉市の川端邸で見つかった。遠く離れて、岐阜市に住む恋人への熱い思いを訴える哀切に満ちた内容。恋愛、孤独・死をテーマにした川端文学の出発点を示す資料として、専門家も注目する。16日に岡山県立美術館で公開される。
今回発見された手紙は計11通。10通は伊藤初代から川端宛て。1通は川端が1921年秋、22歳のときに書いたものの、投函されなかったもの。川端は「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」「恋しくつて恋しくつて、早く会わないと僕は何も手につかない」などと、会えないもどかしさを、ストレートに吐露している。恋人の初代は当時、川端と出会った東京・本郷のカフェを辞め、岐阜市の寺院に養女として預けられていた。
2人の恋はその後、初代が「ある非常」という理由で結婚を断る手紙を送り、破局した。川端はこの失恋を題材に「非常」などの初期小説を発表。代表作「伊豆の踊り子」も影響を受けたとされる。
長崎市の8100万年前の地層からよろい竜の化石
福井県立恐竜博物館(同県勝山市)と長崎市教育委員会の共同研究チームは7月7日、長崎市にある約8100万年前の白亜紀後期の地層から、よろい竜の歯の化石1つと、肉食恐竜の歯の化石2つを発見したと発表した。よろい竜の化石が見つかるのは、長崎県で初めて。
よろい竜は4本足で歩き、背部から尾にかけて骨の装甲を持つ草食恐竜で、白亜紀の北半球を中心に栄えた。恐竜博物館によると、国内ではこれまで、足跡を含めて北海道、富山県、兵庫県、熊本県の計4カ所で化石が見つかっている。
よろい竜の歯は幅約10㍉、高さ約9㍉の薄くて幅広い形。植物を食べるため前後に突起がある。歯だけで全体の大きさや種類まで絞り込むのは難しいという。肉食恐竜の歯は幅約7㍉、高さ約14㍉と、幅約5.5㍉、高さ約7㍉。