「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

漱石が病気の妻を思いやる心情を子規に吐露

 夏目漱石が親友で俳人の正岡子規に宛てた書簡が東京都内の古書店で見つかった。1897年(明治30年)8月23日付で俳句が9句書かれており、そのうち2句が未発表だった。漱石が病気の妻を思いやる心情を綴った珍しい句で、専門家は「極めて貴重な資料だ」としている。

 漱石は当時、熊本の第五高等学校の教授。書簡の日付の前夜に東京・根岸の子規庵で句会があり、夏休みで帰京していた漱石も参加していた。書簡の俳句は鎌倉が題材で、句会から一夜明けて新作を子規に届けたとみられる。

 未発表の句は「愚妻病気 心元(こころもと)なき故本日又鎌倉に赴く」という前書きに続き「京に二日また鎌倉の秋を憶(おも)ふ」。前年に結婚した妻鏡子は体調を崩し、この夏を鎌倉で療養しており、妻を思いながら東京から鎌倉に向かう心情を詠んでいる。

 未発表のもう一句は「円覚寺にて」の前書きがついて「禅寺や只秋立つと聞くからに」。円覚寺は後の長編「門」に登場する。子規はこの年、5月に病状が悪化。漱石は俳句を送ることで子規を慰めていたのではないか。

 

江戸期 大和川治水に尽力した中甚兵衛を漫画に

江戸期 大和川治水に尽力した中甚兵衛を漫画に

 江戸時代に大和川の治水に尽力した中甚兵衛(1639~1730年)の偉業を広く伝えようと、幸田栄長(えいちょう)さん(69)ら東大阪市の有志たちが、その生涯を描いた漫画『中甚兵衛物語』を制作した。

 中甚兵衛は河内郡今米村(現 東大阪市)の出身。柏原市辺りから北上し東大阪市などを通って淀川に合流していた旧大和川を、堺市方向へ西に流れる現在の流路に付け替えるよう、半世紀にわたって幕府に要望し1704年に実現させた。

 旧大和川は、周辺の土地より川底が高い“天井川”となっていたため、当時農民たちは度重なる洪水に苦しめられていた。しかし、この付け替え工事の結果、水害が激減した府東部では綿花栽培が栄え「河内木綿」に代表される、後の織物産業の発達につながったとされる。

京都五山送り火 点火5分間隔に 51年ぶり変更

京都五山送り火 点火5分間隔に 51年ぶり変更

 毎年8月16日に行われる恒例行事「京都五山送り火」の点火時間が今年51年ぶりに変更される。「妙法」と「船形」の送り火がそれぞれ5分早まり、5カ所の点火時間がすべて5分間隔で並ぶ。点火時刻は「大文字」午後8時、「妙法」同5分、「船形」同10分、「左大文字」同15分、「鳥居形」同20分。

仏にすがった貴族の遺構 平安京跡で「持仏堂」

仏にすがった貴族の遺構  平安京跡で「持仏堂」

 京都市埋蔵文化財研究所は8月14日、京都市南区の平安京跡から、平安時代末期(12世紀末)の貴族邸宅の持仏堂とみられる遺構を確認したと発表した。平安京跡で遺構が確認されたのは2例目。

 平安京左京九条二坊十六町跡(南区西九条北ノ内町)で見つかった持仏堂の遺構は、南北約9.2㍍、東西約8.3㍍のほぼ正方形。遺構の中央東側部分の地表を掘り、こぶし大の河原石をびっしり敷き詰め地盤を強化していた。仏像そのものは見つかっていないが、同研究所では地盤を強化して重量のある仏像を安置する基壇とした可能性が高いとみている。

 末法思想が流布していた当時、極楽往生を願った貴族の間で邸宅内に、阿弥陀仏を安置する持仏堂を建てることが流行した。このことは文献上でも少なくとも数十件単位で確認できるという。

被葬者は蘇我稲目か 都塚古墳は大型方噴ピラミッド型

被葬者は蘇我稲目か 都塚古墳は大型方噴ピラミッド型

 奈良県明日香村教育委員会と関西大考古学研究室は8月13日、明日香村の都塚古墳(6世紀後半ごろ)が、墳丘を5段以上の階段状に築いたピラミッド形の大型方噴と分かったと発表した。国内の同時期の方墳で階段状墳丘が確認されたのは初めて。一辺の長さが40㍍を超え、直後に築かれた方墳大王(天皇)陵に迫る規模であることも明らかになった。

 当時のトップクラスの権力者が、前方後円墳に代わる新形式として取り入れたとみられる。そのため、蘇我氏の権勢の礎を築いた蘇我稲目(そがのいなめ、?~570年)らが被葬者の候補に挙がっている。

 都塚古墳があるのは蘇我稲目の子、馬子(?~626年)が被葬者として有力視されている石舞台古墳(7世紀前半、一辺約50㍍の方噴)の南東約400㍍。尾根の先端の傾斜地に築かれている。1967年に関西大考古学研究室が調査し、巨石を使った横穴式石室の中に凝灰岩製の家形石棺が安置されていたことが分かったが、墳丘の形や規模は不明だった。

 今回、当時としては異例のピラミッド形の大型方噴が確認されたことで、古墳時代から飛鳥時代への過渡期の権力構造を知る手掛かりになるとみられる。

丹波竜の化石は新種 学名「タンバティタニス…」

丹波竜の化石は新種 学名「タンバティタニス…」
 兵庫県立人と自然の博物館は8月12日、2006年に兵庫県丹波市の白亜紀前期の地層(約1億1000万年前)で見つかった竜脚類の恐竜「丹波竜」の化石が新属新種と認められ、学名も「タンバティタニス・アミキティアエ」と命名したと発表した。・
 8月12日付のニュージーランドの国際学術誌「ズータクサ」の電子版に論文が掲載された。国内発見の新属新種の恐竜は5例目。

水無瀬離宮の建物跡見つかる 大阪府島本町

水無瀬離宮の建物跡見つかる  大阪府島本町

 大阪府島本町教育委員会は8月6日、同町内の製薬会社の研究施設予定地(島本町桜井)から、13世紀~13世紀前半(鎌倉時代)の建物跡が見つかり、当時の最高権力者だった後鳥羽上皇(1180~1239年)が造営したとされる「水無瀬(みなせ)離宮」の一部と考えられると発表した。

 水無瀬離宮の遺構が見つかったのは2009年12月に次いで2カ所目。最初に発見された遺構に近い高台で、同町教委は「過去の文献に記された、洪水による離宮の高台移転を裏付ける貴重な史料」としている。

世界遺産登録10周年 和歌山で9月から観光事業

世界遺産登録10周年 和歌山で9月から観光事業

「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録10周年を機に、和歌山県や同県内市町村、JR西日本などは8月4日、9月14日から12月13日まで大型観光事業「和歌山デスティネーションキャンペーン(わかやまDC)」を実施すると発表した。テーマは「和(なごみ)」。期間中、県内で150以上のイベントを開催する。スタンプラリーや、高野山、熊野本宮大社、熊野那智大社などでのコンサート、秘宝の特別公開などがある。国内の世界遺産登録地域の関係者が集まる観光地サミットも開かれる。

富岡製糸場に4カ月で34万人 年間最多を更新

富岡製糸場に4カ月で34万人 年間最多を更新

 世界文化遺産に登録された富岡製糸場(群馬県富岡市)の来場者数が7月21日、4月以降で約34万人となり、昨年度を4カ月足らずで超え、過去最多を更新したことが分かった。富岡製糸場によると、2013年4月~14年3月の来場者数は過去最多の約31万4500人。

 来場者数の急増はボランティアの解説員によるガイドが不足する事態を招いている。5月に新たに7人がデビューしたが、来場者数の伸びに追いつかない状況が続いている。

沖縄・石垣島で旧石器時代の人骨が大量出土

沖縄・石垣島で旧石器時代の人骨が大量出土
 沖縄県・石垣島(石垣市)で後期旧石器時代(3万5000~1万数千年前)の人骨が多く見つかっており、考古学者や、人類学者の注目を集めている。約2万年前の骨に残されたDNAやたんぱく質の分析から沖縄に来た人類の由来を探る試みが始まり、専門家からは「宝のような遺跡」との声も挙がっている。
 石垣島東岸から約1㌔の新石垣空港敷地内にある白保竿根田原(しらほさねたばる)洞穴遺跡。沖縄県立埋蔵文化財センターが2010年度から進める調査などで、旧石器人骨を中心とする十数~20体分の人骨約800点が出土した。骨は保存状態が良く、大学や研究機関がたんぱく質やDNAの抽出を試みた。
 これらの人々はどこからやってきたのか。国立科学博物館のチームが母から子に受け継がれ祖先をたどることができるミトコンドリアDNAを分析。東南アジアに見られる「B4e」や沖縄の人に多く、本土でも一部見られる「M7a」など3種類のDNAタイプを確認した。調査や分析は本年度も継続される。