「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる

水口岡山城跡で秀吉時代の石垣見つかる
滋賀県甲賀市教育委員会は2月27日、豊臣秀吉が重臣に築かせた水口岡山城跡(滋賀県甲賀市)で、城があった山頂付近を広範囲に囲む石垣が見つかったと発表した。城は高さ283㍍の山の頂上にある。石垣は本丸などの主要部から20~30㍍低い位置で見つかった。城がある山頂周辺が広い範囲で高さ1.5~2㍍の石垣で囲まれていた可能性が高いという。この城が築造された1585年は、秀吉の天下統一の途中にあたる。城主の長束正家が関ヶ原の戦いで敗れた西軍だったため、廃城となった。

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」

山口・萩市で「幕末・維新girl’s サミット」
 山口県萩市で2月23、24日、歴史好きな女性”歴女”が交流する「幕末・維新girl’s サミット」が開かれた。全国から集まった13~69歳の44人の参加者は町を着物姿で散策、歴史談義に花を咲かせた。この日は普段は入れない、吉田松陰が高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、山県有朋、伊藤博文など幕末の動乱期から明治維新にかけて、その立役者として活躍した数多くの英傑たちに教えた私塾「松下村塾」、そして坂本龍馬ゆかりの道場にも特別に入り、幕末史や松陰の思想についての講義も行われた。参加歴女のいきいきした笑顔が目立った。

不動明王立像など運慶、快慶の仏像群が国宝に

不動明王立像など運慶、快慶の仏像群が国宝に
 文化審議会は2月27日、鎌倉時代に活躍した仏師、運慶の「木造不動明王立像」や快慶の「木造騎獅文殊菩薩像」などの仏像群と、平安時代から明治時代の史料「醍醐寺文書聖教」の計3件を国宝に指定するよう下村博文文部科学相に答申した。このほか、江戸時代の絵師、狩野探幽の「紙本金地著色四季松図」や、福島県いわき市の長福寺が所有する鎌倉時代の「木造地蔵菩薩坐像」など50件を重要文化財に指定することも求めた。近く答申通り指定され、美術工芸品の国宝は871件、国宝を含む重要文化財は1万524件となる。 

卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳

卑弥呼の墓?初の立ち入り調査 奈良・箸墓古墳
 考古学、歴史学の15の研究者団体の16人は2月20日、宮内庁が陵墓として管理している奈良県桜井市の箸墓古墳を立ち入り調査した。宮内庁が研究者側からの要望に応じて立ち入りを認めるのは初めて。同古墳は邪馬台国の女王・卑弥呼の墓とする説があり、邪馬台国論争に深く関わる研究の進展つながるとみられる。研究者らは約1時間半かけて墳丘の最下段を一周し、地表に見える葺き石や土器などの遺物の状態、墳丘の形などを観察した。墳丘表面で、築造以前の様子を示す弥生最末期の土器などが見えたという。箸墓古墳は全長約280㍍。最古段階の前方後円墳で、全国の巨大古墳のモデルになったとの説が有力だ。

箸墓古墳と西殿塚古墳は土木技術に違い

箸墓古墳と西殿塚古墳は土木技術に違い
 考古学、歴史学の15の団体の研究者らは2月20日、宮内庁が管理する箸墓古墳(奈良県桜井市、3世紀)と西殿塚古墳(同県天理市、3~4世紀)を初めて立ち入り調査した結果、両古墳には土木技術上の違いがみられ、強度などから箸墓が先に築造された可能性が高まったことを明らかにした。日本考古学協会の森岡秀人理事は「2つの古墳の段築の傾斜などを詳しく比べ、西殿塚の方が工学的に強度を重視した構造で、築造された順番を実感できた」としている。

墳丘堤の外に石敷き 奈良・橿原 菖蒲池古墳

墳丘堤の外に石敷き見つかる 奈良・橿原の菖蒲池古墳
 奈良県橿原市教育委員会は2月20日、同市の菖蒲池古墳(7世紀半ば、方墳)で、墳丘を囲むとみられる盛り土や、その外側に施された石敷きが見つかったと発表した。石敷きは墳丘の東西約20㍍の場所で、堤とみられる盛り土に沿って東西2㍍、南北4.5㍍分が見つかった。この時期で立派な石敷きがあるのは宮殿と寺院だけという。
 通常は堤までが古墳の範囲とされ、さらに外側から施設が見つかるのは極めて異例。堀の幅は古墳正面から奥に行くほど狭くなることも判明。正面から見た際の遠近感を出す工夫とみられる。こうした手の込んだ造りから、古墳の被葬者は649年、無実の罪により山田寺で自害した蘇我倉山田石川麻呂や、皇族などとする説がある。

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」

和歌山で古典芸能「花園の御田舞」
 和歌山県かつらぎ町花園の遍照寺で2月17日、国指定重要無形民俗文化財の古典芸能「花園の御田(おんだ)舞」が行われた。御田舞は米作りの1年間を、木製の鍬や鎌を手にした地元保存会の若者らが、太鼓、笛、たたき棒による古風なはやしと歌に合わせ、田植えの準備から稲刈り、もみすりまでの所作を格調高い口上と舞で表現する、平安中期から続くと伝わる古典芸能。2年に1度、旧暦の年初めに奉納上演される。豊作を祈り、約3時間上演され、日頃は人の少ない山あいの地がカメラを手にした観光客らでにぎわった。

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる

川端康成の初の新聞小説「美しい!」見つかる
 ノーベル文学賞作家、川端康成(1899~1972年)が27歳で発表した初めての新聞小説「美しい!」が見つかった。この小説は1927年4月11日から5月2日にかけて計4回、福岡日日新聞(現在の西日本新聞)に連載された。「美しい!」は全集や年譜に収録されておらず、研究者にもほとんどその存在を知られていなかった。したがって、これまでは1927年8月から中外商業新報(現在の日本経済新聞)で連載した「海の火祭」が最初の新聞小説とされていた。

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示

小泉八雲が交友に宛てた手紙44通を松江歴史館で展示
「耳なし芳一のはなし」「ろくろ首」などの怪談作品で知られる明治の文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850~1904年)が、島根県尋常中学校の英語教師だったころに親交のあった同校教頭、西田千太郎に宛てた手紙44通が、2月23日から3月10日まで松江市の松江歴史館で展示される。手紙は英語で書かれ、1891年(明治24年)1月から1896年12月まで、小泉八雲が居住した松江などから発信したもの。神戸からの手紙には日本国籍を取得したことが記され、「わたしは『Y・小泉』になります」と報告している。

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる

宮殿並み蘇我馬子邸の塀跡か 大型柱穴列見つかる
 奈良県明日香村教育委員会は2月9日、同村の島庄遺跡で、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子(生年不明~626年)の邸宅の塀跡とみられる大型柱穴列が見つかったと発表した。この遺跡で建物群跡のものとみられる7世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。柱穴の一辺は1㍍以上あり、2.1~2.4㍍間隔で8個並んでいた。柱の直径はそれぞれ30~40㌢あったとみられる。これは宮殿クラスの規模という。塀の長さは約16㍍。当時、天皇を凌ぐ権勢を誇ったとされ、蘇我氏の全盛期を築いたといわれている馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになるとみられる。