「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

飛鳥寺出土品と百済王宮跡で発見の甲 酷似

日本と韓国の研究者の調査によると、日本初の本格的な仏教寺院、飛鳥寺跡(所在地:奈良県明日香村、国史跡)で見つかった甲(よろい)と、古代朝鮮三国の一つ、百済(くだら)(4世紀半ば〜660年)の王宮遺跡(所在地:韓国忠清南道=チュンチョンナムド)公州=コンジュ市)で出土した甲の形や構造がよく似ていることが分かった。
飛鳥寺と百済の関係を記した「日本書紀」の内容を考古学的に裏付ける重要な物証だと専門家は指摘している。日本書紀によると、飛鳥寺は585年、百済から僧侶や技術者の派遣を受けて建設が始まったとされる。

日本の研究G 謎の文明「ディムルン」王墓発見

日本の発掘調査グループは3月21日、東京都内で中東バーレーンで約4,000年前に栄えとされる古代文明「ディムルン」の古墳群で、最古級とみられる応募を発見したと発表した。
ディムルン文明は謎だらけで、今回の発見は国際的に大きな成果という。ディムルンは、現在のインドやアフガニスタンなどの地域との海上交易で繁栄していたとみられる。

飛鳥・甘樫丘で官僚邸宅か 天武・持統朝の塀跡 

奈良県明日香村教育委員会は3月18日、同村の甘樫丘(あまかしのおか)遺跡群で、7世紀後半に造られたとみられる塀跡が見つかったと発表した。今回見つかったのは1辺約1.2mの方形の柱穴5カ所。昨年度の調査結果分も合わせると南北15m以上、東西7.2m以上の敷地を区画する塀があったとみられる。
専門家は律令国家の成立を目指していた天武・持統両天皇の時期の甘樫丘は官僚層の住宅施設があった可能性を指摘する。また、ここは有力豪族らの政争の場でもあった。
「日本書紀」によると、飛鳥時代前半の有力豪族で、天皇を凌ぐほどの権勢を誇った蘇我蝦夷(えみし)と息子の入鹿(いるか)が甘樫丘に邸宅を築いているが、中大兄皇子、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らによる645年の「乙巳(いっし)の変」で、その豪壮な邸宅は焼き払われたとされる。

イラン 世界遺産など文化財56カ所に被害

イラン政府は3月14日、米国とイスラエル両国の攻撃により、国内にある国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産など少なくとも56カ所の文化財に被害が出ていることを明らかにした。地元メディアが報じた。
首都があるテヘラン州の被害が最も大きく、テヘラン市中心部にある世界遺産「ゴレスタン宮殿」や著名なモスクなど19カ所が損壊した。

東大寺二月堂・修二会”籠松明” 火の粉 夜空舞う

例年通り、東大寺二月堂で営まれている修二会(しゅにえ、通称”お水取り”)。3月12日夜は、ひと際大きな11本の”籠松明”(かごたいまつ)の大量の火の粉が辺り一帯を照らし出していた。
この日は前日までの”お松明”とは異なり、長さ約7m、重さ約60kgとひと回り大きな籠松明を、童子(どうじ)が1本ずつ担いで舞台に上がり、堂の欄干から外へ向かって勢いよく振りかざす。すると、大量の火の粉が古都の夜空に舞い上がる。
この火の粉を浴びると、無病息災のご利益があるとされる。参拝者らはこのご利益を求めて集まり、カメラのシャッターを切る人や歓声を上げる人もいた。

天武朝 中央官庁跡か 飛鳥・石神遺跡で塀跡

奈良文化財研究所(奈文研)は3月5日、飛鳥時代の天武天皇(在位673〜686年)と持統天皇(同690〜697年)の時代に、中央官庁や宮殿関連施設が整備された可能性が高い奈良県明日香村の石神遺跡の東方で、7世紀後半に造られたとみられる塀跡が見つかったと発表した。
専門家は、律令国家の成立を目指した官僚制度の整備に伴い、天武・持統朝では広範囲に官庁群が造られた可能性を指摘、その一端とみている。
現場は、両天皇が政務を執った飛鳥浄御原宮(きよみがはらのみや)から北へ約1km離れ、国内最古の本格的伽藍を持った飛鳥寺のすぐ北にあたる。現在の石神遺跡の範囲に隣接する東方区域に位置する。

太宰府天満宮で「曲水の宴」平安絵巻さながら

福岡県太宰府天満宮で3月1日、平安時代の宮中行事を再現した「曲水の宴」があった。見ごろの梅の木に、春近しを思わせる温かな日差しの中、色鮮やかな十二単(ひとえ)や衣冠束帯に身を包んだ12人の参宴者が、平安絵巻さながら和歌を詠み、短冊にしたためていく。
曲水の宴は、小川に流した盃が自分の前を過ぎるまでに和歌を短冊にしたため、盃を飲み干す神事。太宰府では958年に始まったとされる。一時中断したが。菅原道真公を偲ぶ催事として1963年に復活した。

奈良市の聖武天皇陵, 多聞城跡を初調査

日本考古学協会などの研究者団体は2月27日、宮内庁が管理する聖武天皇・皇后陵(所在地:奈良市)を初めて調査した。
宮内庁が管理する約3万㎡に及ぶ同エリア一帯は、戦国武将、松永久秀が築いた多聞城跡と重なっており、研究者らは土塁の可能性がある地形の起伏や、城跡の規模なども確認していた。普段は立入禁止の2つの陵墓の外周などを午後1時頃から約1時間20分かけて調査した。

豊臣秀長 大和郡山城拝領時の書状発見

天理大(本部所在地:奈良県天理市)は2月16日、豊臣秀吉の弟、秀長にまつわる書状を発見したと発表した。秀長が大和国を拝領して郡山城(所在地:奈良県大和郡山市)に入った1585年のものとみられる。
内容は、宗教勢力をうまく掌握しながら、大和国を統治していた実態が垣間見える。秀長の有力家臣、横浜良慶が秀長の命を受けて興福寺で僧侶兼武士の”衆徒”に送った書状、伝統的な祭礼を執行するよう命じた内容の書状という。
これらの書状は、同大の古文書所在調査の一環で、奈良市内に古くから続く菊岡家で見つかった。