「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

年末恒例 京都・南座顔見世興行の「勘亭流」まねき書き始まる

京都市左京区の妙傳寺で、京都・南座の年末恒例の歌舞伎の顔見世興行の、「勘亭流」という独特の書体を使った”まねき”と呼ばれる出演者を紹介する看板書きの作業が始まった。まねき看板はおよそ50枚。サイズは長さ1.8m、幅30cmで、書家の井上優さんが客の大入りを願って隙間なく、丸みを帯びた勘亭流の書体で1点ずつ丁寧に書きあげていく。このまねき看板は11月25日に京都・南座の前に掲げられる予定。顔見世興行は30日から始まり、いよいよ年末、師走を迎える。

京都で円山応挙の襖絵など約100点集め展覧会 近代京都画壇作品

「円山応挙から近代京都画壇へ」をテーマに、江戸中期の絵師で”写生画の祖”といわれる円山応挙の襖(ふすま)絵、屏風(びょうぶ)絵などを集めた展覧会が、京都市左京区の京都国立近代美術館で開かれている。同展覧会は作品を入れ替えながら、12月15日まで開かれている。                                                                                                 会場には、円山応挙とその影響を受けた画家たちの襖絵や屏風絵など約100点が展示されている。より大きなスペースとって紹介されているのが、応挙の最高傑作とされる兵庫県香美町の大乗寺所属の襖絵群だ。寺と同じ配置で立体的に展示され、作者・応挙の制作意図に配慮している。このほか、「松に孔雀図」、掛け軸「狗子図」なども展示されている。

葛飾北斎の晩年期の肉筆画新たに2点確認「富士見西行図」「藻魚図」

葛飾北斎(1760~1849年)の肉筆画が新たに2点確認された。「富士見西行図」(1848年)とメバルを描いた「藻魚(もうお)図」(1847年)の2点だ。晩年期の色紙サイズの作品。西行図は3年ほど前に米国で発見、藻魚図は今年、国内で存在が明らかになった。いずれも軸装で、現在は個人が所蔵している。筆致や落款などから北斎の作品で間違いないという。

姫路城が英ウェールズのコンウィ城と姉妹城に、市民交流へ

世界遺産の姫路城が、イギリス・ウェールズの同じ世界遺産のコンウィ城と姉妹城として提携し、市民交流を深めていくことになった。今回の提携はウェールズ州政府からの働きかけで実現し、兵庫県の姫路城の西の丸でこのほど提携式が行われた。             コンウィ城は築城700年、姫路城は築城400年で、ともに地元のシンボルとして美しい姿を残している。姫路城はすでにフランスのシャンティイ城と姉妹城の提携をしており、コンウィ城は2つ目の姉妹城となる。

沖縄「首里城」で火災「正殿」「北殿」全焼、城内へ延焼

沖縄県那覇市の首里城から10月31日未明、出火し、城の中心的な建物の「正殿」と「北殿」が全焼した。また、城内にある他の建物にも次々と燃え広がっているという。消防によると、これまでのところけが人などの情報は入っていない。                                           首里城では10月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」というイベントが開かれていて、31日未明まで開催予定の催しの準備が行われていた。                         首里城は琉球王国時代のおよそ500年前に建造され、昭和8年に国宝に指定されたが、太平洋戦争中の沖縄戦で焼失した。平成4年に「正殿」が復元され、その後ほかの建物も順次復元され、平成12年に城跡が、県内にある城の跡とともに「世界遺産」に登録されている。

日本初の長編アニメ「白蛇伝」の制作資料見つかる 東映アニメ

日本初の長編カラーアニメーション映画として61年前に公開された「白蛇伝」の絵コンテなどの資料が、京都市右京区の東映太秦映画村で見つかった。専門家は草創期のアニメの制作過程が分かる貴重な資料だとしている。                                                        白蛇伝は東映動画、現在の東映アニメーションが昭和33年に公開した、日本で初めての長編カラーアニメーション映画。見つかった資料は、アニメーターがキャラクターの立体感を考える際に使われたとされる粘土模型4体や、全体の構成を指示する絵コンテの第1稿などおよそ40点。これらの資料の一部は11月4日まで京都文化博物館で展示されるほか、今後、東映太秦映画村でも展示される。

秋の都大路彩る京都「時代祭」 歴史絵巻に6万人余の見物客

10月22日の「即位礼正殿の儀」と重なるのを避け、今年だけ例外的に26日に日を変えて、京都三大祭りの一つ「時代祭」が行われた。王朝の平安時代から武家政権時代、そして明治時代までのそれぞれの時代を象徴する装束に身を包んだおよそ総勢2,000人の行列が、京都御所から平安神宮までのおよそ4.5kmの都大路を練り歩いた。           行列は明治時代の鼓笛隊や官軍を先頭に、時代を遡る形で歴史上の人物が登場。維新への扉を開くのに重要な役割を果たした坂本龍馬、色鮮やかな十二単を身に着けた皇女和宮、さらには織田信長などが次々に登場し、沿道では昨年より多い6万人余りが、この華やかな歴史絵巻を楽しんだ。

令和最初の「正倉院展」初出展4件含む41件の宝物出展

奈良時代の聖武天皇ゆかりの宝物を集めた「第71回正倉院展」が10月26日から始まった。令和で最初となる今年の正倉院展には初出展の4件を含む41件の宝物が出展され、11月14日まで奈良市の奈良国立博物館で開かれている。                                       今回の展示で興味深いのは革製のくつ、「衲御礼履(のうのごらいり)」だ。これは聖武天皇が大仏開眼法要の際に使用したと推測されるもの。表面には赤く染めた牛の革が、内側には鹿の革が用いられ、真珠や水晶などでつくられた花形の飾りがあしらわれている。また、「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)」は、香をたくのに使う道具で、獅子の形をした飾りが取り付けられており、器の側面には植物や蝶の文様など豪華な装飾が施されている。

平安京の「西寺」の五重塔跡? 見つかる 京都市の発掘調査で

京都市の発掘調査によると、794年の平安京への遷都で、桓武天皇の命で「東寺」と対になるように造られた官営の寺「西寺」の五重塔の基礎部分の可能性が高い跡が見つかった。調査ではこれまでに、最も大きな建物とみられる講堂の土台部分の「基壇」が確認された。今回さらに五重塔があったと推定される場所を発掘したところ、碁盤の目状に12カ所で地盤を突き固めた跡が見つかり、これまでの調査と合わせると五重塔の基礎部分である可能性が高いという。                                                                            西寺は、鎌倉時代に火災に遭い焼失、それ以降は再建されず、京都市南区の跡地が国の史跡に指定されている。

「命のビザ」,発給でリストラに 杉原千畝の履歴書見つかる

第2次世界大戦中の1940年、赴任先のリトアニアでナチスの迫害を逃れるため、ビザを求めるユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けて、およそ6,000人の命を救ったとされる日本の外交官・杉原千畝氏(1900~1986年)の履歴書が新たに見つかった。これによると、杉原氏は1947年4月の帰国後に外務省を辞め、NHKや商社などを転々としたが、1949年2~10月に参院資料課で主事として勤務したことが新たに判明した。外務省では杉原氏の退職理由について「不明」としているが、同氏が参院に提出した履歴書では「1947年3月の行政整理に際し被整理者に予定せられたる」と記載しており、人道的立場から、いわば省命に背き行った「ビザ発給」後、同氏は懲罰的に帰国前の段階でリストラ対象者とされていたと判断される。