秀吉の中国”水攻め” 毛利氏側が記した初の史料

羽柴(豊臣)秀吉が中国(毛利)攻めの際、備中高松城に仕掛けた”水攻め”作戦を、毛利軍から記した初の史料が確認された。6月2日、山口県岩国市の博物館「岩国徴古館」が発表した。
この書状が書かれたのは秀吉に毛利攻めを命じた織田信長が、明智光秀に討たれた本能寺の変(1582年)の当日だ。これを記したのは毛利元就の次男、吉川元春で、「この期に及んでは”安否の一戦”(決戦)を行う他ない」と綴っている。
書状は1582年6月2日付で、援軍として元春の周辺に陣取った重臣の今田経高に宛てたもの。

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