日本無線 ベトナム空港面監視用マルチラテレーションの実証で合意
日本無線(本社:東京都中央区)は、ベトナムの航空交通管理公社(以下、VATM)と、空港面監視用マルチラテレーションシステムの実証実験と技術協力に関する合意文書を締結した。
この署名式にはベトナム側から情報通信省のタム副大臣、交通運輸省のトゥー副大臣、VATM会長、日本側から坂井総務副大臣、梅田在ベトナム大使ら、両国政府および航空関係者らが列席した。
4月訪日外客数290万人、累計で最速の1000万人突破
日本政府観光局(JNTO)の推計によると、2018年4月の訪日外客数は前年同月比12.5%増の290万1000人だった。2017年4月の257万9000人を30万人以上上回り、単月としても2017年7月の268万2000人を上回り過去最高を記録した。こうした堅調な動きを受けて1~4月の累計で1051万9000人となり、これまでで最も早いペースで1000万人を超えた。
航空路線の新規就航や増便、チャーター便の運航、日本の春の魅力を訴求する訪日旅行プロモーションの効果なども相まって、堅調な伸びを示した。
市場別では台湾、タイ、フィリピン、ベトナム、インド、フランス、ロシアで単月として過去最高を記録したほか、韓国、中国、シンガポール、マレーシア、豪州、米国、イタリアで4月として過去最高を記録した。
関西みらいFG フィリピン・リサール商業銀行と業務提携
関西みらいフィナンシャルグループ(FG)の関西アーバン銀行およびみなと銀行は、顧客企業の海外事業展開への支援を強化するため、フィリピン民間銀行のリサール商業銀行と業務提携を締結したと発表した。
これにより、関西アーバン銀行および、みなと銀行はリサール商業銀行と緊密に連携して、フィリピンに進出する企業への支援体制の充実を図っていく。同FGの近畿大阪銀行は2013年9月にリサール商業銀行と同様の業務提携を締結している。
提携業務の内容は、フィリピンの市場情報、投資環境の紹介、両行の顧客企業間でのビジネスマッチング、スタンドバイL/C等による資金調達のサポート、フィリピン現地での口座開設サポートなど。
リサール商業銀行の本店所在地はフィリピン・マカティ市。店舗数は508店舗(連結)。
三菱商事 フィリピンに合弁で中間層向け住宅デベロッパー設立
三菱商事は、フィリピン大手不動産会社センチュリープロパティーズ(以下、センチュリー社)と共同で、新興中間層向け住宅デベロッパー(以下、新会社)を設立するための合弁契約を締結したと発表した。
新会社「ファースト・パーク・ホームズ インク」(所在地:フィリピン・マカティ市)の資本金は設立時10億フィリピンペソ(約21億円)で、出資構成は三菱商事40%、センチュリー社60%。フィリピン全土で新興中間層向けの分譲住宅を開発・販売する。毎年3~5件の新規開発プロジェクトをを立ち上げることで、設立後10年以内に年間1万戸を供給することを目指す。高品質な住宅を1戸あたり平均300万~500万円で提供することにより、フィリピンの住環境向上に貢献する。
イオンモール 中国山東省に初出店 5/25グランドオープン
イオンモールは5月25日9時から、中国山東省煙台市の経済技術開発区内に、山東省では初となるショッピングモール「イオンモール煙台金沙灘(えんたいきんさたん)」をグランドオープンする。
同モールはRC造地上4階・地下1階建てで、敷地面積約9万3000平方㍍、延床面積約18万8000平方㍍、駐車場約2700台。イオン煙台金沙灘店を核店舗として、専門店約220店舗が出店。年中無休。同モールの基本商圏は車20分圏の約75万人、約28万世帯。
イオンモールは中国に2008年に1号店をオープン以来、①北京・天津・山東省②江蘇・浙江省③湖北省④広東省の4つのエリアを中心に出店を進め、現在までに合計17モールを展開している。
奈良で「吉野離宮」の正殿?大型建物跡見つかる
奈良県吉野町教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所の発掘調査によると、吉野町の国史跡「宮滝遺跡」で、『日本書紀』や『続日本紀』などに記されている「吉野離宮」の中心的な建物「正殿」の跡ではないかとみられる大型の建物跡が見つかった。
この建物跡は東西23.7㍍、南北9.6㍍で、屋根の四方に庇(ひさし)が付いた格式の高い建物で、奈良時代前半のものとみられている。橿原考古学研究所の菅谷文則所長は「吉野離宮の所在地をめぐっては宮滝遺跡以外の説もあったが、今回の成果で宮滝遺跡だったと確定できたと考える」と話している。
吉野離宮は、飛鳥時代に奈良県中部を流れる吉野川のほとりに、様々な公共工事を行ったとされる女帝の斉明天皇(天智天皇、天武天皇の母)が造営したとされる離宮。その後、大海人皇子(後の天武天皇)が天智天皇の死後、皇位継承をめぐって大友皇子と対立して起きた「壬申の乱」で、最初に反撃の兵を挙げた場所とされている。
天武天皇の死後、即位した妻の持統天皇は30回以上も吉野離宮を訪れているほか、女帝・元正天皇や聖武天皇などもたびたび吉野離宮を訪れたことが日本書紀や続日本紀に記されている。