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京都・平安期の井戸から「難波津の歌」の木簡

京都・平安期の井戸から「難波津の歌」の木簡

京都市埋蔵文化研究所はこのほど、同市中京区で発掘された平安時代中期(9世紀後半)の井戸から、和歌「難波津の歌」が平仮名で書かれた木簡が出土したと発表した。平仮名では最古級とみられる。
9世紀の中ごろから後半は漢字を当てはめた万葉仮名を基に10世紀前半に平仮名が成立するまでの過渡期にあたり、平仮名の形成過程をたどるうえで貴重な資料という。
木簡は縦34.5㌢、横3.5㌢。文字は縦2行にあり、右側に和歌「難波津に 咲くやこの花 冬こもり 今は春べと 咲くやこの花」がほぼ平仮名に近い形で書かれていた。
難波津の歌は古代から字の練習に使われていた。7世紀ごろ以降とみられる多数の出土品に書かれているが、平仮名でほぼ全文が読み取れる史料は初めてとみられる。

宇喜多秀家自筆と伝わる和歌初公開 岡山・光珍寺で法要

宇喜多秀家自筆と伝わる和歌初公開 岡山・光珍寺で法要

岡山城を築城した戦国大名、宇喜多秀家の命日の11月20日、菩提寺の光珍寺(岡山市)で没後360年の慰霊法要が営まれ、参列者ら約30人が宇喜多家と家臣の遺徳をしのんだ。
法要後には今年5月、同寺が入手した宇喜多秀家自筆の和歌と伝えられる短冊2枚が初めて公開された。公開された和歌は「御菩提のたねや植えけん此寺にみのりの秋そ久しかるへき」など。
宇喜多秀家は豊臣秀吉の治世下、五大老の一人で、岡山の街づくりの礎を築き、備前宰相と呼ばれた。1600年の関ケ原の戦いでは西軍の副将となり、敗れた。その後、1606年八丈島に流された。

八百万の神々が出雲に 出雲大社で厳かに神迎神事

八百万の神々が出雲に 出雲大社で厳かに神迎神事

全国から出雲地方に集う八百万(やおよろず)の神々を迎える出雲大社(島根県出雲市)の「神迎(かみむかえ)神事」が旧暦の10月10日にあたる11月21日夜、営まれた。3連休の初日とあって、信徒や観光客ら約1万人が訪れ、伝統の神事を見守った。
国譲り神話の舞台として知られる稲佐の浜で、かがり火が焚かれる厳かな雰囲気の中、千家隆比古・権宮司が海に向かって祝詞を読み上げた。このあと、迎えた神々が乗り移ったとされるサカキ「神籬(ひもろぎ)」が白い布で覆われ、「竜蛇神(りゅうじゃしん)」に導かれて約1㌔先の出雲大社に向かった。
神籬が到着した神楽殿では神迎祭が執り行われ、神々が本殿両脇の東西十九社に案内された。神々は1週間滞在し、向こう1年間の農事や縁結びなどを話し合うとされる。
神々の出雲滞在中、境内では23日に「献穀祭」、26、28日に「縁結び大祭」、28日には出雲から神々が古里へ旅立つ「神等去出祭(からさでさい)」などの祭りが続く。

日露戦争から今日をひも解く 坂の上の雲ミュージアム

日露戦争から今日をひも解く 坂の上の雲ミュージアム

名城大(愛知県名古屋市)都市情報学部の稲葉千晴教授らでつくる研究会「日露戦争史料調査会」が11月22日、坂の上の雲ミュージアム(愛媛県松山市)で講演会「日露戦争と東アジア‥今日的視点から」を行い、市民ら約50人が熱心に聞き入った。
講演会では日露戦争に詳しい稲葉教授と立命館大学政策科学部の宮脇昇教授、文化功労者で日中関係に詳しい早稲田大学の毛里和子名誉教授が登壇。
日露戦争の戦場となった中国で、日本は30万人もの兵士の食料や弾薬などの物資をどのようにして運搬したのか?などの問題提起と、日露戦争を報道した海外の新聞を紹介した。

ANAがミャンマー技能研修生受け入れ 成田で研修

ANAがミャンマー技能研修生受け入れ 成田で研修

ANAホールディングスは11月19日、ミャンマーから技能研修生を受け入れると発表した。成田空港でグランドハンドリング技能研修を実施する。ミャンマーにおける空港グランドハンドリング業務の中核を担う人材を育成する。
ANAグループはミャンマー運輸省・民間航空局(DCA)と「グランドハンドリング人材育成強化に関する覚書」を締結。グループ会社のANA成田エアポートサービスが今後、ミャンマーから技能研修生を年15人程度、継続的に受け入れる。ANAグループは日本~ミャンマー間に唯一、直行便を就航している。

三重県がタイ工業省と産業連携深化へ覚書

三重県がタイ工業省と産業連携深化へ覚書

三重県は11月19日、タイ工業省と覚書を交わした。同日、鈴木英敬知事を団長とする同県の約50人の経済産業ミッション団がバンコク入りし、同省をはじめとする現地の産学官の各団体を歴訪。タイとの産業連携を深化させ、県産品の出荷拡大やタイ人旅行者の取り込み促進につなげる方針だ。タイ工業省とタイ投資委員会(BOI)の2機関と提携したのは三重県が初めて。NNAが報じた。

高知・北川村で中岡慎太郎の墓前祭”シャモ鍋”に舌鼓

高知・北川村で中岡慎太郎の墓前祭”シャモ鍋”に舌鼓

中岡慎太郎の祥月命日にあたる11月17日、高知県北川村柏木の松林寺跡で墓前祭が開かれた。中岡慎太郎は慶応3(1867)年11月15日、京都・近江屋(現在の河原町)で坂本龍馬とともに襲撃され、2日後に亡くなったと伝えられている。
墓前祭の後、決まって振る舞われるのが「シャモ鍋」。2人が凶刃に倒れた日に食べようとしていたという料理だ。この日も地元の「中岡慎太郎先生顕彰会」の面々が大鍋2杯を用意した。墓前祭に集まった人たちは、恒例の(?)シャモにハクサイ、キノコなどを入れ、しょうゆ仕立てにしたシャモ鍋に舌鼓を打っていた。

十返舎一九 直筆の礼状 長野・安曇野市で見つかる

十返舎一九 直筆の礼状 長野・安曇野市で見つかる

長野県安曇野市教育委員会によると、江戸時代、弥次さん喜多さんの珍道中を描いた作品「東海道中膝栗毛」で知られる作者、十返舎一九(1765~1831年)が知人に宛てた自筆とみられる書状が見つかった。
1814年ごろ、一九は安曇野市を訪れ、「東海道中膝栗毛」の続編の執筆に向けた取材をしていた。書状は宿泊場所を提供した藤森家当主の善兵衛に宛てたもので、世話になった感謝の思いが綴られている。書状には、ペンネームの十返舎ではなく、本姓を用いた「重田一九」と署名が入り、「御馳走に相成り誠にもって御礼筆紙に申し尽くし難く候」などと記されている。

京都・南座の大入り願い勘亭流「まねき書き」公開

京都・南座の大入り願い勘亭流「まねき書き」公開

京都・南座の歳末の風物詩「吉例顔見世(きちれいかおみせ)興行」を前に出演する歌舞伎役者の名を看板いっぱいに書き込む「まねき書き」が11月10日、京都市左京区の妙伝寺で報道陣に公開された。
太く丸みを帯びた「勘亭(かんてい)流」と呼ばれる独特の書体で「劇場に隙間なく客が入るように」と大入りへの願いを込めている。看板は11月25日の「まねき上げ」で、南座正面に掲げられる。

奈良・宗祐寺で「中尊寺経」の一部見つかる

奈良・宗祐寺で「中尊寺経」の一部見つかる

奈良県宇陀市の宗祐寺(そうゆうじ)は11月9日、金銀で書写した経典の断片が見つかり、栄華を極めた奥州藤原氏が12世紀に中尊寺(岩手県)に奉納した「中尊寺経」の一部とみられると発表した。油紙に金字と銀字で1行ずつ交互に書かれ計19行あった。同寺が1888年に入手した記録はが残っているが、出所は不詳。
中尊寺経は現在、高野山などに伝わり、国宝や重要文化財にもなっている。