日本大使公邸で壮行会 プサントレン教師招へい事業
在インドネシア日本大使館は10月19日、日本に派遣されるインドネシア人教師12人の壮行会を鹿取克章インドネシア日本大使公邸で開いた。これは、日本政府が毎年実施しているイスラム寄宿学校(プサントレン)の教師招へい事業。同視察団は20日に出発し来日、31日まで日本に滞在する。この間、ホームステイなども交えながら、日本の教育現場を視察し、日本人教師との意見交換会などが予定されている。
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島根の神楽フェスに向け練習に熱こもるバリ舞踊家ら
島根の神楽フェスに向け練習に熱こもるバリ舞踊家ら
島根県益田市の島根芸術文化センター主催で11月2~4日開催される「ワールド神楽フェスティバル」に出演する6人のインドネシア人と日本人のバリ舞踊家らが公演に向けて熱のこもった練習を重ねている。フェスティバルでは世界の神楽を紹介。日本、インドネシア・バリ、韓国、ブラジルから奉納の伝統芸能が披露される。
バリからはインドネシア国立芸術大学の教授や、地元の舞踊家、芸術大に留学し舞踊を続ける日本人女性が参加する。演目は寺の一番奥で行う奉納の舞で、一般的に観光客が目にする機会がないものだという。例えば、初潮を迎える前の少女2人が、目をつぶり憑依(ひょうい)状態になって踊る演目だ。彼女たち自身が奉納物となる舞を、今回は芸術大のパルティニ教授らが踊る予定だ。
「新古今和歌集」に”幻”の一首 一旦収録、後に削除
鶴見大学(横浜市鶴見区)が収蔵する「断簡」と呼ばれる写本の切れ端を集めた「古筆手鑑(こひつてかがみ)」から、三大和歌集の一つで鎌倉時代初期に編纂された「新古今和歌集」にいったん収録されながら、後に削除されたとみられる一首がこのほど見つかった。見つかったのは「さのみやはつれなかるべき春風に山田の氷うちとけねかし」という一首。早春に解ける氷のように打ち解けてほしいと相手に呼び掛ける恋の歌で、紫式部の夫の孫にあたる藤原隆方(1014~78年)の作品。
古筆手鑑は同大が京都の古書業者から購入し、久保木秀夫准教授が発見した。800年以上も埋没していた一首とみられ、10月4~27日まで同大図書館で展示される。「新古今和歌集」は後鳥羽上皇の勅命で編集され、約2000首を収録。1205年に一度完成したが、その後も切り継ぎが行われ、30首前後が削除されたとされる。
7世紀の飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮」復元を 明日香村
7世紀の飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮」復元を 明日香村
奈良県明日香村で、天武天皇、持統天皇の二代が営んだ7世紀のドラマチックな歴史の舞台となった飛鳥の宮殿「飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)」を復元しようという計画が進んでいる。同村には数多くの歴史遺産が、土の下に眠っている。そこで、宮殿の復元を端緒に「遺跡の可視化」を進め、観光振興や世界遺産登録に弾みをつけたい考えだ。ただ、計画の実現には学術的な検討や財源、景観問題など課題も多い。
宮殿復元の背景にあるのは、ユネスコの世界遺産登録を目指す動きだ。同村などにある遺跡群は「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として2007年、暫定リスト入りした。ただ今年1月、ユネスコの諮問機関ICOMOS(イコモス)の担当者らが来村した際、もっと分かりやすく遺産の意義を説明できないか-と指摘されたためだ。
だが、現状では復元へのハードルは高い。飛鳥時代の建物は残っておらず、宮殿がどのような建物だったのか、高さや装飾など不明な点が多いからだ。また、同村には景観保全のため、全域に厳しい規制が敷かれ、建物は高さ10㍍以下に制限されている。復元する宮殿の高さが10㍍を超す場合、規制の見直しが必要になる。莫大な費用の負担方法もメドがついていない。3年前に国が復元した平城宮大極殿(奈良市)は、当時の工法を再現する一方、土台の下に免震構造を組み込むなどし、総事業費は約180億円以上に上っている。
スイス北部でダビンチ作の肖像画?発見 伊紙が報道
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出雲阿国の装束華やかに60年ぶり新調 京都・時代祭
伊勢神宮で古式ゆかしく「式年遷宮・遷御の儀」挙行
伊勢神宮で古式ゆかしく「式年遷宮・遷御の儀」挙行
20年に1度社殿を建て替える伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮で、最も重要な神事「遷御(せんぎょ)の儀」が10月2日夜、皇大神宮(内宮)で行われ、絹の幕で隠されたご神体が旧正殿から新正殿に移された。1300年の歴史を持つとされる式年遷宮は今回が62回目。8年かけて続いてきた神事はクライマックスを迎えた。豊受大神宮(外宮)でも5日夜、ご神体を新正殿に移す神事が行われる。
式年遷宮は伊勢神宮で20年に1度、社殿や鳥居などを建て替える神事。持統天皇時代の690年に始まったとされ、内宮と外宮のほか、14ある別宮でも行われる。8年間かけて30以上の行事を重ね、奉納する神宝や装束もすべて新調する。20年ごとに行われる理由ははっきりしないが、社殿の尊厳を保つ限界とする説や、技術伝承のためとする説などがある。
大阪・茨木市の遺跡で弥生人が銅鐸を描いた土器?発見
大阪・茨木市の遺跡で弥生人が銅鐸を描いた土器?発見
大阪府茨木市教育委員会は10月1日、同市の東奈良遺跡で見つかった弥生時代中期(約2000年前)の土器のつぼに、線刻で銅鐸(どうたく)が描かれていたことが分かったと発表した。このような土器の発見は初めてという。つぼは、ほとんどが欠けていたが、銅鐸上部のつり手部分が縦3㌢、横4㌢にわたり描かれていた。「綾杉紋」という紋様のほか、「飾り耳」と呼ばれる突起部分もあった。反対側にはシカのような絵と「流水紋」と呼ばれる紋様もあった。つぼは2日から同市文化財資料館で展示される。絵は写実的で、東奈良遺跡の弥生人が銅鐸を見ながら描いたのではないか-と同資料館の担当者は話している。
東奈良遺跡は1974年、全国で唯一の完全な形の銅鐸鋳型(重要文化財)が見つかり、青銅器の生産工房があった遺跡として知られる。銅鐸は全国で500個ほど出土しているが、鋳型は奈良県の唐古・鍵遺跡など近畿を中心に約10カ所でしか見つかっていない。