工学分野で4大学と日系企業が産学連携の強化図る
国際協力機構(JICA)とインドネシア教育文化省が産学連携の強化を図っている。両者は「ASEAN(東南アジア諸国連合)工学系高等教育ネットワーク事業」を推進している。同事業に参画しているのがインドネシア大学(UI)、バンドン工科大(ITB)、ガジャマダ大(UGM)、スラバヤ工科大のインドネシアの主要国立4大学工学系学部。各種研究テーマごとに研究室を分類し、各研究者の経歴や研究施設の概要もまとめた「研究室ダイレクトリー」を作成。ASEAN域内で遅れをとるインドネシアの大学と日系企業の共同研究や人材育成など、協力関係構築を後押しする。
9月18日には南ジャカルタのスルタン・ホテルで、JICAと教育文化省がセミナーを共催。日本およびインドネシアの企業関係者や大学関係者200人が参加し、インドネシアの企業と大学が工学分野での共同研究や人材育成で産学連携を促進する方法を話し合った。
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愛媛・和歌山大学生が西ジャワ州ブカシ市の子供らと交流
愛媛・和歌山大学生が西ジャワ州ブカシ市の子供らと交流
じゃかるた新聞によると、愛媛大学と和歌山大学の国際協力サークルの学生ら10人が9月15、16の両日、西ジャワ州ブカシ市のバンタルグバンごみ処理場近くの小中学校「アル・ファラー」を訪問した。日本語クラスの生徒を中心とする4~6年生の小学生37人が交流会に参加し、日本文化の紹介や料理、運動会などを通して交流を楽しんだ。
小学生たちは当初、日本からの見慣れない客に多少緊張した様子だったが、1時間もすると大学生に折り紙を折るように求めたり、日本語で自己紹介しようと話しかけたりするまでに打ち解けた。大学生らが昼食にハヤシライスを振る舞った後は、白玉団子を一緒にこねるなどお菓子作りや、運動会などを通して、さらに盛り上がりをみせた。最後は小学生らによるアンクルン(竹製の伝統楽器)の演奏や、元日本留学生のインドネシア日本同好会(KAJI)のメンバーが弾くギターによる日本語の歌などで締めくくられた。その後、学生たちはごみ処理場という特殊な環境下にある子供たちの家庭を訪問し、父兄に話を聞いた。
学生らは17日には今後のインドネシアとの関わり方を探るため、東ジャカルタのダルマ・プルサダ大学日本語学科の学生30人と話し合いの場を持った。その結果、日本・インドネシアの大学で継続した支援プロジェクトができるようにとの企画が持ち上がった。
徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
徳川家康が英国で記念コインに 日英交流400年祝う
日本と英国の間で交流が始まって400周年を迎えたのを祝って、徳川家康像などをあしらった金と銀の記念硬貨が9月8日発行された。片面にエリザベス女王の横顔、もう片面に東インド会社の船を背景にしてジェームス1世と家康の像を並べたデザイン。24金製の50ペンス硬貨と銀製の5ペンス硬貨の2種類があり、各400枚の限定販売。価格は金貨が755ポンド(約11万7000円)、銀貨が59ポンド95ペンス。家康が描かれた硬貨の発行は日本を含めて初めてという。日英交流は当時の英国王ジェームス1世から江戸幕府への親書などを託された東インド会社の船が1613年6月に長崎県平戸市に到着して始まった。9月8日は英国の使節団代表が徳川家康と面会した日にあたる。
「鹿ケ谷の陰謀」に加わった俊寛の自筆書状を初公開
島根で2000万年前 東アジア最古の巨大ワニの化石発見
明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出
明日香村「酒船石」に立体的な映像を投映する試験演出
奈良県明日香村の古代の謎の石造物「酒船石(さかふねいし)」(国史跡)に立体的な映像を投映する試験演出が9月11日夜、行われ、朱雀や揺らめく水などの映像が飛鳥の地の闇に浮かび上がった。これは14~15日に開催されるイベント「飛鳥光の回廊2013」の試験演出で、石が重ねてきた記憶に現代のイメージを投影し、古代と現代の融合を試みたもの
-という。酒船石は明日香村に数多く残る石造物の一つで、長さ約5.5㍍、最大幅約2.3㍍、高さ約1㍍の花崗(こう)岩。何のために使われたのかは分からず、謎に包まれているが、水を使った祭祀(さいし)施設だったなど諸説ある。
ペルーのパコパンパ遺跡から紀元前800年の大型石彫発見
大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録
大震災直後、避難所開設を後藤新平に直訴した男性が詳細を記録
9月1日で発生から90年を経過した関東大震災で被災しながら、当時、震災復興を担った後藤新平内務相に避難所の開設を訴え、東京・芝浦で約1万8000人を支援した民間人男性が、被災の様子、収容人数などを記録し、残していた詳細な資料が見つかった。民間避難所を運営し、被災者の収容記録を残したのは、現在の東京都港区でランプの販売会社を営んでいた故今井諦氏。1977年に92歳で亡くなったが、娘の西脇孝子さん(72)らが原本を父の故郷で保管、複本を手元に置いていた。
焼け野原となった東京都心の街中の情景、今井氏の心境、震災4日後、友人とともに後藤内相の私邸を訪ね、避難所開設の賛意を得たこと、東京高等工芸学校(現・千葉大工学部)を「芝浦避難事務所」とすることが許され、私財を投じた今井氏が責任者に就いたこと、避難所開所から閉鎖までの約1カ月間の日ごとの収容人数などが詳細に綴られている。当時を知る貴重な資料だ。