「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

法隆寺金堂壁画27年ぶり公開 10日から事前申し込み限定50人

昭和24年に焼損し、国の重要文化財に指定されている法隆寺(所在地:奈良県斑鳩町)の金堂壁画が11月10日から27年ぶりに公開される。一日の見学者の数を事前に申し込んだ50人に限定し、合わせて10日間公開される。
今回公開される12枚の壁画は、高さが3.1m、幅が1.5mから2.6mで、如来や菩薩などが描かれている。火災によって鮮やかな「極彩食」は失われているもの、焼け残った輪郭から、かつての様子がうかがえる。法隆寺の金堂壁画は、飛鳥時代に描かれたとされる古代の仏教壁画の傑作。平成6年の一般公開を最後に、原則非公開とされてきた。

奈良・菅原遺跡で発見の円形建物跡 CG復元案4種類発表

公立鳥取環境大の浅川滋男教授(建築考古学)は11月8日、奈良市の菅原遺跡で見つかった円形建物跡のCG復元案4種類を発表した。この建物は東大寺大仏造立に携わった奈良時代の高僧・行基(668~749年)の供養堂とみられる。
いずれも中心部は八角形。その外側に十六角形の檜皮(ひわだ)葺きの屋根型飾り「裳階(もこし)」が取り付く構造。法隆寺夢殿(奈良県斑鳩町)などを参考にしている。
菅原遺跡は、平城京のすぐ外側にあり、行基が畿内に建立した「四十九院」の一つ「長岡院」とみられる。東大寺が東側に見える立地や年代から、弟子らが行基の供養堂として建てた可能性があるという。

大阪城の天守閣再建から90年 他自治体関係者迎え記念式典

大阪のシンボルの1つとして親しまれている大阪城の、現在の天守閣が再建されてから11月7日で90年を迎え同日、記念の式典が行われた。現在の天守閣は、昭和6(1931)年に市民の寄付で建て直された3代目。
式典は天守閣前の広場で、滋賀県長浜市や長野県上田市など城のある自治体から関係者を迎え開かれ、90年目の節目を祝った。

世界遺産 白川郷で恒例の放水訓練 錦秋の合掌造りに水柱

世界文化遺産、岐阜県白川村の白川郷で11月7日、伝統の合掌造り集落の火災に備えた恒例の放水訓練が行われた。白川郷には大小114棟の合掌造りの木造家屋が軒を連ねる。これらはかやぶき屋根で燃えやすく、出火すれば集落全体に延焼の恐れがある。このため、付近に59基の消火用放水銃を設置。年に1度、点検を兼ねて一斉放水される。
午前8時のサイレンで放水を開始。見ごろを迎えた紅・黄葉の山々を背景に、高さ約20mの水柱が集落のあちこちで広く輝いていた。また、集落を一望できる展望台に集まった観光客が、この水柱に向けて夢中でシャッターを切っていた。

江戸時代の人々も歯周病 現代とは異なる細菌が原因

東京医科歯科大学の研究グループによると、江戸時代の人々も細菌への感染で歯ぐきや歯を支える骨が溶ける歯周病にかかっていたとする研究結果を、スイスの分子生物学の雑誌に発表した。
これは、東京都江東区の深川付近で発掘された江戸時代後期の人骨をCTスキャンなどで解析したもので、付着していた歯石を調べると、歯周病の原因の細菌は現代とは異なることも分かったという。人骨12体のうち5体で、あごの骨の一部が溶けていて、歯周病にかかっていた。また、骨に付着していた歯石に含まれるDNAを解析したところ、24種類の細菌がいたことが分かり、このうち17種類は現代人の口の中でも見られるものだった。
しかし、現代人で歯周病の原因となっている細菌は、江戸時代の人の歯石からは1種類も検出されず、研究グループは口の中の細菌の環境は現代とは異なり、当時の人々は他の細菌によって歯周病になっていたとみられるとしている。

京都・妙傳寺で勘亭流「まねき」書き 南座の顔見世興行

京都市左京区の妙傳寺で、南座で行われる年末恒例の歌舞伎の顔見世興行を前に、出演者を紹介する看板「まねき」を書く作業が書家の井上優さん(76)によって進められている。客の大入りを願って、「勘亭流」という独特の書体を使い、丸みを帯びた太い文字で長さ1.8mの看板に隙間なく書いていく。看板の数はおよそ40枚。顔見世興行は12月2日から23日まで。看板は11月下旬に南座の正面に掲げられる。

京都・北野天満宮で豊臣秀頼奉納の青銅製の鏡見つかる

京都の北野天満宮は10月23日、9月に境内の倉を整理したところ、本殿を造営した豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡が新たに見つかったと発表した。鏡が直径およそ24cmの円形で、背面には「秀頼公御再興」などと記されている。天井に吊して装飾する「吊り鏡」とみられるという。同天満宮では、本殿の装飾の歴史を知る貴重な発見だとしている。
吊り鏡は仏教的要素が影響した装飾品で、当時は神仏習合でご神体が安置されている本殿の内陣に仏像群が納められていて、その装飾のために使われていた可能性があるという。

聖徳太子千四百回忌大法会始まる 大阪・四天王寺

聖徳太子が6世紀に創建したとされる大阪市天王寺区の四天王寺で10月18日、聖徳太子の千四百回忌の「御聖忌慶讃大法会」が始まった。大法会は2022年4月22日まで。期間中、西本願寺(京都市)や東大寺(奈良市)、浅草寺(東京都台東区)などから僧を招き、法要を営む。
四天王寺の境内には五色の「結縁綱」が張り巡らされている。結縁綱は「聖徳太子四十九歳摂政像」と「聖徳太子十六歳孝養像」の手に結び付けた五色の綱を、境内3カ所に立てられた柱を介し、五重塔や金堂の救世観世音菩薩像などとつなぐ。柱に触れることで、綱を通じて聖徳太子と縁を結ぶことになる。

2,000年前のナツメヤシの種子から収穫 イスラエル人研究家

AFPによると、イスラエルのサラ・サロン氏は、イスラエル東部の死海沿岸のローマ帝国時代の遺跡から採取された2,000年前のナツメヤシの種子を栽培し見事、収穫に成功した。死海特有の乾燥しきった環境が功を奏した。種子は1960年、マサダ要塞の遺跡で見つかった。マサダは紀元1世紀にユダや人がローマ軍との戦いで山上に砦を築いて立て籠もったことで有名。
サロン氏率いる研究チームは、米科学誌サイエンスに昨年掲載された論文の中で、古代ユダ王国はデーツ(ナツメヤシの実)の産地として有名で、このデーツは大きくて甘く、薬効があるとして当時、珍重されていたと記している。

東大らのチーム 雑穀を食べていた特異な縄文人集団を発見

東京大学総合研究博物館の米田穣(よねだみのる)教授らの研究チームは10月13日、長野県小諸市七五三掛(しめかけ)遺跡で出土した人骨からコラーゲンを抽出し、放射性炭素年代を測定することで、15点中13点が縄文時代晩期末ごろの人骨であることを発見したと発表した。さらに炭素・窒素安定同位体比の特徴から、縄文時代晩期末の集団が渡来文化の一部である雑穀(アワ・キビ)を食べていたことも明らかにした。
縄文終末期に中部高地に伝来した渡来文化には、水田稲作だけではなく雑穀栽培が含まれていたが、これまではそれらの穀物を利用したのが縄文人だったのか、渡来人だったのか、また食生活における雑穀の重要性などの詳細は不明だった。
今回の研究成果で、雑穀は食生活の一部のみを占めることから、狩猟採集による伝統的な生活を継続しつつ、縄文人が渡来文化を主体的に受容した様相が示された。土器表面の圧痕研究ではイネ(籾)に加え、アワ、キビの雑穀種子も見つかっていることから、縄文人集団は中部高地の環境に適した雑穀を選択して生業に取り入れていたと考えられるという。