「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

奈良・桜井市の談山神社で春「けまり祭」古代の妙技再現

藤原鎌足を祀る奈良県桜井市の談山神社で4月29日、春の「けまり祭」が行われた。この祭は、藤原鎌足が蹴鞠(けまり)を通じて中大兄皇子と出会い、「大化の改新」の計画を練ったという故事にちなんで春と秋に行われている。烏帽子(えぼし)や袴(はかま)など、色とりどりの古代の衣装を身に着けた保存会の人たちがまりを蹴り合うもの。
同日は保存会のメンバー8人が境内の広場で輪になり、鹿革の白いまりを使って、右足の甲だけを使って蹴り上げる作法のもと、「アリ」「ヤア」「オウ」など独特の掛け声とともに、蹴まりの”技”を披露した。

「日本国宝展」絵画, 仏像, 土器など135点展示 4/26開幕

大阪市立美術館(所在地:大阪市天王寺区)で4月26日から、先人から受け継がれてきた日本の国宝を集めた「日本国宝展」が始まった。6月15日まで。
大阪・関西万博の開催と同館のリニューアルオープンを記念した特別展。絵画、仏像、土器など歴史の教科書にも登場するような国宝135件を入れ替えながら展示する。縄文時代から近世にかけての”厳選された美”に触れる格好の機会となりそうだ。
中国・後漢王朝の皇帝から贈られた「金印『漢委奴國王』」(きんいん かんの・わの・なの・こくおう)、「袈裟襷文銅鐸」(けさだすきもんどうたく)はじめ、「火焔型土器」(かえんがたどき)はおよそ5,000年前の縄文時代中期を代表する土器だ。江戸時代に活躍した絵師、伊藤若冲の代表作「動植綵絵 群鶏図」などは出色。

宮内庁 奈良・正倉院に伝わる「虹龍」はニホンテンと判明

宮内庁正倉院事務所の調査によると、奈良・正倉院に伝わる宝物で貂(てん)のミイラとされる「虹龍(こうりゅう)」が、11〜12世紀のニホンテンだったことが分かった。同事務所が4月23日、「正倉院紀要第47号」で発表した。貂のミイラは全長23cm。頭部や鋭い歯、首やかぎ爪のある後ろ脚、皮膚や内臓のいち部などが残り、両前脚は欠落している。今回の2021〜2023年の調査で、骨や歯の特徴などからニホンテンの雌の成獣だと特定された。
1429年に室町幕府の第6代将軍・足利義教が正倉院で「竜の日干し(ひぼし)」を見たことを、当時の京都・醍醐寺の座主(ざす)が日記に書いているが、実際にはこの虹龍だった可能性が高いという。

奈良・大和郡山市で”大和大納言”豊臣秀長しのぶ法要

豊臣秀吉の天下統一を支えた弟、豊臣秀長をしのぶ法要が例年通り4月22日、城主を務めた城がある奈良県大和郡山市で営まれた。同市内にある秀長の墓、大納言塚では遺徳をしのび毎年4月22日に法要が行われている。今年は地元の人に加えて県外からもファンが参列。僧侶が墓の五輪塔の前で読経する中、一人ずつ焼香、手を合わせていた。
秀長は秀吉の補佐役として、千利休とともに豊臣政権を支えた人物。2026年のNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公だ。晩年には城下町を整備し、地元ではいまも”大和大納言”と呼ばれ、親しまれている。

足尾銅山記念館が完成式典 古河グループ 8月に一般公開

古河機械金属など古河グループは4月21日、足尾銅山記念館(所在地:栃木県日光市足尾町)の完成記念式典を開いた。報道陣らに内部を公開した。一般社団法人 古河市兵衛記念センターが建設し、運営する。延床面積は1,245㎡。館内では1884年に銅の生産量が日本一になった足尾銅山に歴史や、1877年に足尾銅山の経営を始めた古河グループの創業者、古河市兵衛の人物像などを伝えるブースを設けている。
銅山から有害物質が流出して大きな被害をもたらし、日本の公害の原点とされる足尾鉱毒事件についても、一部屋を使って展示している。
足尾町はインバウンド(訪日外国人)に人気の日光から車で30分のところに位置し、新たな観光スポットとなりそうだ。

富岡鉄斎「画業70年の足跡」57点集め兵庫・宝塚市で企画展

近代を代表する文人画家、富岡鉄斎(1836〜1924年)の青年期から晩年までの作品など57点を集めた企画展「鉄斎の画業七十年ー画を以て法を説く」が、清荒神清澄寺(所在地:兵庫県宝塚市)内にある鉄斎美術館で開かれている。
鉄斎は京都の商家に生まれ、国学や漢学、儒教に親しみ、独学で大和絵や山水画など、様々な技法を習得した。今回は、鉄斎が19歳で絵を学び始めた時代のキジの模写から、亡くなる直前に仕上げた仙人の地の絵までを、年代順に展示している。圧巻は、六曲一双の屏風「青緑山水図」(各縦1.7m、横3.5m)。77歳のころの作品で、山々から湖水に流れる渓流が色鮮やかに描かれている。
企画展は5月4日まで(月曜休館)。一般600円、高校大学生400円、小中学生200円。

ユネスコ 家康寄進 仏教叢書 増上寺聖典「世界の記憶」登録

国連教育・科学・文化期間(ユネスコ)は4月17日、歴史的な文書類の保存を目的とする「世界の記憶」(国際登録)に、日本から申請した「増上寺が所蔵する三種の仏教聖典」を登録することを正式に決めた。日本関連の「世界の記憶」は10件目となる。
これは、浄土宗と浄土宗大本山の増上寺(所在地:東京都港区)が登録申請した。12〜13世紀に中国の南宋・元、朝鮮半島の高麗の各時代に、当時最高の技術で制作された版木による木版経典群だ。徳川家康が収集し、増上寺に寄進したもの。総数は約1万2,000点に及ぶ。
このほか、日本からは広島市と5つの報道機関が「広島原爆の視覚的資料ー1945年の写真と映像」も共同申請したが、登録されなかった。

春の高山祭 絢爛豪華な祭り屋台 3年ぶりに12台出揃う

岐阜県高山市で4月14、15の両日、絢爛豪華な祭り屋台がそのきらびやかさを競う「春の高山祭」(山王祭)が行われた。大規模修理中だった大国台(だいこくたい)が3年ぶりに祭りの曳き揃えに戻り、江戸時代から受け継がれる国重要有形民俗文化財の12台が出揃った。ただ、2日目の15日はあいにくの雨で、午前中の曳き揃えは中止となった。だが、屋台蔵の中でからくり奉納が披露された。
山王祭は高山市城山にある日枝神社の祭礼で、400年以上の歴史がある。「屋台」と呼ばれる山車(だし)を曳いて市街を巡幸する。

信長の書状発見 室町幕府と畿内武士の調整役務める

織田信長(1534〜1582年)が、室町幕府第15代将軍足利義昭の後見役として、義昭の意を汲んで幕府と畿内の武士の調整役を務めていたことが分かった。
信長が元亀2年(1571年)に書いた、河内(現在の大阪府東部)の武士の安見宗房が戦乱で失った領地の回復を要望していたことから、幕府有力者の細川昭元の家臣、三好為三に宗房と昭元の対面の取り次ぎを依頼する書状が発見された。文末に、「詳しくは明智(光秀)が伝える」と書かれ、当時信長の家臣として台頭していた光秀に、幕府との連絡役を任せていた様子も分かる。
信長は1568年、義昭を立てて入京し、良好な関係を築く。だが、後に2人は対立し、1573年に義昭を京都から追放する。短い期間だったが、対立前は畿内での権益調整の役を担っていたことが分かる史料として注目される。

台湾で旧人・デニソワ人の骨 人類との交雑解明に期待

東京大学、総合研究大学院大学などの国際共同研究チームは、台湾の海底で見つかった骨が旧人「デニソワ人」のものであることを突きとめた。骨に残るたんぱく質の解析から明らかにした。デニソワ人はゲノムの一部が日本人にも引き継がれた太古の旧人で、その化石が温暖なアジア地域で見つかったのは初めて。
この骨をもとにした化石の分類が可能になり、今後デニソワ人の分布や、人類「ホモ・サピエンス」との交雑解明が、人類史を解く手がかりになるものと期待される。