「歴史くらぶ」カテゴリーアーカイブ

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎・壱岐市のカラカミ遺跡で弥生期の土器片出土

長崎県壱岐市教育委員会はこのほど、同市のカラカミ遺跡で、弥生時代後期(2世紀ごろ)の「周」の文字の左半分が刻まれた土器片が出土したと発表した。
土器片は縦7.5㌢、横8.8㌢。鉢(口径23㌢、高さ7.7㌢)の一部とみられ、文字は縁部分に刻まれていた。土器は中国・遼東半島周辺でつくられたとみられ、交易を通じて一支国に入った可能性が高いという。
カラカミ遺跡は、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された「一支いき国」の交易拠点跡とされ、当時の九州北部で広範囲に文字が伝わっていた可能性も出てきた。

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

松前藩のアイヌ宛て最古の文書の原本 ロシアで発見

東京大学史料編纂所などの研究チームの調査によると、江戸時代後期の1778(安永7)年に、当時の松前藩から北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書の原本が、ロシア国立サンクトペテルブルク図書館で見つかった。240年前の文書で、アイヌ民族とロシア人との接点や交易・交流を示すものとして注目される。
文書は松前藩の蝦夷地奉行から、根室半島”ノッカマップ”(現在の北海道根室市)を拠点としていたアイヌ民族の有力者、ションコに宛てたもの。交易に使われる施設の「運上小家」の火の用心に努めよ、和人の漂流船が漂着した際は、この文書を見せて介抱の上、送り届けよ-など4項目を「定(指示)」とし、背いた者は厳罰に処すと記されている。同チームは、鎖国の時代にアイヌの手から蝦夷地を訪れたロシア人に渡ったものとみている。
アイヌのションコは、1789年、幕府・松前藩治政下、過酷な労働環境などに不満を持ったアイヌ民族が武装蜂起し和人71人を殺害した「クナシリ・メナシの戦い」を、終息に導いた功労者の一人と言われている。

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

京都・下鴨神社で新春恒例の「蹴鞠初め」妙技に歓声

世界遺産・下鴨神社(京都市左京区)で1月4日、新春恒例の「蹴鞠初(けまりはじ)め」が行われた。烏帽子(えぼし)・袴(はかま)の平安貴族の色鮮やかな伝統衣装を身に着けた「蹴鞠(しゅうきく)保存会」のメンバーが8人1組で、「ヤア」「アリ」など独特の声を掛けながら鹿革製の鞠を地面に落とさないよう蹴り合う。
境内に15㍍四方の四隅に竹を立てた「まり場」で、それぞれの妙技を競う。サッカーなどと違うのは、勝敗はなく右足だけを使う点。相手が蹴りやすいように蹴るのが上手とされる。遠目には優雅な遊びとも映るが、傍で見るとメンバーの息遣い、そして取り損ねるのを防ごうと時折スライディングしそうなケースもあり、技術や体幹・体力も必要なことが分かる。参拝客からはメンバーの妙技に歓声が上がっていた。

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

道鏡建立の由義寺跡の赤茶けた瓦・壁土など公開

大阪府立狭山池博物館で、奈良時代の女帝、称徳天皇の寵愛を受け、強大な権力を誇った弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が建立した由義寺(ゆげでら)・塔跡(大阪府八尾市)出土の瓦約250点を展示する特別展「蓮華(れんげ)の花咲く風景-仏教伝来期の河内と大和」が開かれている。2018年1月28日(4日まで休館)まで。
後ろ盾だった称徳天皇を失ってから、京を追われた道鏡のゆかりの地の痕跡を消すかのように、この由義寺は焼き払われたとみられ、その際の熱を受けて赤茶けた瓦や壁土もあり、塔が火災で倒壊したときの生々しい様子が伝わってくる。
塔跡では一辺20㍍の基壇が見つかり、東大寺(奈良市)の七重塔に次ぐ高さ60~70㍍もある塔と推定され、当時の道鏡の権力の大きさを裏付けている。

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

佐賀で恒例の「カノン砲」で祝う新年 明治維新150年

明治維新150年を迎えた2018年。幕末の西南雄藩、薩長土肥の一角、佐賀藩ゆかりの「カノン砲」を放って新年を祝う神事が1月1日午前〇時ごろ、佐賀市の佐嘉神社で行われた。同神社周辺・一帯には、時ならぬ大きな”砲声”が響き渡り、集まった観客からはその迫力に歓声が上がっていた。
カノン砲は肥前・佐賀藩が幕末につくった大砲で、復元されたものを年始に放ち、新年を祝うのが恒例となっている。

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

江戸期の豊かな食文化を出土の食器や食物残滓で紹介

京都市上京区の市考古資料館で、食の歴史に関する発掘調査の成果を報告する企画展「江戸時代の食-食物残滓(ざんし)からわかること」が開かれている。2018年1月21日まで(3日まで休館)。
公家町の一角だった京都御苑(上京区)と、町人の町があった下京中(下京区)の発掘調査で出土した食器や、多様な動物や魚の骨や貝殻など遺物約90点を展示。マダイやブリ、トビウオなど多様な海産物が京都まで流通していたことや、現在よりも大きな貝類が獲れていたことなど、想像以上に豊かだった江戸時代の食文化を紹介している。

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

『歴史くらぶ』2017年10大ニュース

1.世界の地質時代に初、日本の地名「チバニアン」
2.「沖ノ島」8つの構成資産一括で世界遺産に
3.200年ぶり天皇退位 19年4/30 5/1即位・新元号
4.11光年先の銀河系で地球そっくりな惑星発見
5.古代の巨大ペンギンはティラノサウルスと共存
6.大阪・茨木市で弥生期の大規模墓跡140基発見
7.奈良・小山田古墳で石舞台級の巨大石室見つかる
8.長崎・出島に130年ぶり「出島表門橋」開通
9.39億年前の岩石から世界最古の生命の痕跡発見
10.9900万年前の琥珀から絶滅鳥類のヒナ確認

今年も1年、ご覧いただきありがとうございました。
『歴史くらぶ』編集室

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

国内最古、縄文草創期のクリの実か 長野の遺跡

長野県・上松(あげまつ)町は12月25日、町内の「お宮の森裏遺跡」で見つかったクリの実が、国内の発見例として最古となる縄文時代草創期(1万6000~1万1000年前)のものと判明したと発表した。
見つかった多くのクリの実・破片のうち、形が残る実が2個(縦横1.2~1.3㌢)に、乾燥などで収縮しているが、人為的に開けたと思われる小さな穴があり、今後調査を進めるという。
上松町によると、これらのクリの実は国道19号線バイパス工事に伴い、1992年ごろ竪穴式住居跡から出土し、保管されていた。これらは2016年、民間の分析機関に依頼し、放射性炭素年代測定などで1万2900~1万2700年前のものと特定された。
これまでは静岡県沼津市の遺跡から出土した縄文時代早期(1万1000~7000年前)のものが国内最古として知られていた。

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

縄文時代の”幻の貝塚”約120年ぶりに見つかる 東京・豊島区

東京・豊島区の住宅街で、研究者の間で”幻の貝塚”と呼ばれていた縄文時代の遺跡、「池袋東貝塚」がおよそ120年ぶりに見つかった。周辺には大規模な集落が広がっていたとみられ、貴重な発見だと注目を集めている。
およそ3000年から4000年前の縄文時代後期の遺跡、池袋東貝塚は明治時代に発見されたという記録があったが、豊島区教育委員会によると周辺の宅地化が急速に進んだことなどから、その後所在が分からなくなっていた。
今年10月、豊島区の東武東上線の下板橋付近の住宅街で建物の建て替え工事が行われた際、大量の土器や貝が見つかり、当時の記録と出土した遺物や場所がおおむね一致したことなどから、池袋東貝塚と確認された。
遺跡からは縄文土器のほか、ハマグリやカキ、それにシカやイノシシなどの動物の骨が大量に見つかった。また当時の人が土を盛ってつくった盛土遺構が見つかったほか、火を起こした跡も確認され、豊島区教育委員会は遺跡が集落の一角だったと考えられるとしている。

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

「縄文人」は他のアジア人から分かれ独自進化した集団

国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の斎藤成也教授らのグループによる縄文人の核DNA解析の結果、日本人のルーツの一つ「縄文人」は2万~4万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自に進化した特異な集団だったことが分かった。現代日本人(東京周辺)は、遺伝情報の約12%を縄文人から受け継いでいることも明らかになった。
グループは東大総合研究博物館所蔵の福島県・三貫地(さんかんじ)貝塚の縄文人人骨の奥歯の提供を受け、中から核DNAを抽出。コンピューターを駆使した「次世代シークエンサー」と呼ばれる解析措置を使用、核DNAの塩基32億個のうちの一部、1億1500万個の解読に成功した。
その結果、驚くべきことが分かった。これまで縄文人は身体的な特徴などから東南アジアに起源を持つ人々と近いと思われていたが、実際にはこれらアジアの人々とはかけ離れていたことが分かったのだ。グループによると、縄文人の祖先は4万~2万年前、他のアジア人集団から分かれ、独自の進化を遂げた後、日本列島に渡来したという。